虎ときどき牛(奥の間)@はてな

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【追記あり】思うにそれは擬似問題


この件について、長いコメントや論評を書く気はありません。

ただ私が言いたいのは、〈「脳死」は本当は「死」なのか〉などという問いの立て方をしているかぎり、答えの出る方向は限られている、ということです。この問題は(フーコー的に拡張された意味ではもちろんのこと、日常語彙としての狭い意味においてさえ〉「政治的」な問題である、ということを意識しなくてはなりません。

つまり、〈「脳死」は本当は「死」なのか〉というのは擬似問題なのであって、ここで問題にすべきことは、〈「脳死=人の死」という概念を発明することで、何が可能になるのか〉という点であると考えます。すなわち、〈「脳死=人の死」と考えたい人は、何をしたい人なのか〉ということであり、〈そういう人たちは言論のヘゲモニーを握って何を実現させようとしているのか〉という、きわめて「政治的」な問題としてとらえるべきだ、ということです。

そして、この問題を論じたい人は、何らかの(例えば職業的な、あるいは社会的・身体的などの)諸条件によって、この「政治的」な問題における立ち位置があらかた決まっており、その立ち位置を正当化する形で、〈「脳死」は本当は「死」なのか〉を論じようとしている。そういう構図であるように、私には思われます(本棚から取り出すのが面倒なので確認せずに書いちゃいますが、たしか萱野稔人『権力の読みかた』(青土社、2007年)などは、この件に関する示唆的な内容を含んでいたように記憶します)。

……ということで、まとめます。

〈「脳死」は本当は「死」なのか〉などという「議論」が「再燃」している、などという安っぽい論じ方自体がそもそもオカシイ、というのが私の立場です。考えるべきことはそうではなく、〈「脳死=人の死」という概念を発明するべきかどうか〉という「政治的」な問題なのだ、ということです(ここまでの論旨には関係ないですが、現時点の私は、〈発明するべきではない〉という立場です)。


【以下は、20090625追記】
「A案で通過」などというニュースが流れています。「人体=資源」と考えたくてしょうがない人の敷いたレールに、ナイーヴな議員たちがまんまと乗っかってしまった、ということでしょう。〈この命が救われる〉という呼びかけの魅力は確かに非常に強いものがありますが、だからといって〈この命を絶つ〉ことが許されるはずはないと考えます。そう考えない人は、きっと〈無意味な生〉だとか〈無意味な生体反応〉だとかいうものがある、と思い込んでいるのでしょう。そして、その種の人がどうも少なくない様子です。何とも言いがたい気分です。例えばALS患者やその関係者にも、〈無意味な生〉だとか〈無意味な生体反応〉だとか、言えるんでしょうかね。

この問題に関して、はてなとかいうサービスを利用してブログを書いている人たちの間で、わけのわからん論争?が展開されているように見受けられました。しかしこの問題は、〈「脳死=人の死」なのか?〉という問題でないことはもちろんのこと、〈「脳死」判定は本当に「人の死」を判断できるのか?〉という問題でもないし、〈A国で「脳死」判定を受けた人がJ国で蘇生することはあるのか?〉という問題でもないと、私は考えます。そういうことは本スジにまったく関係ない、まるでどーでもよいお遊びである、と言い切っておきます。そもそも「脳死」という呼び方自体が結論を先取りしてるわけですし。

ここで読むべき本は、美馬達哉『〈病〉のスペクタクル』(人文書院、2007年)でしょう(どうでもよいことかもしれませんが、私はこの記事を書いた後にこの本を読みました)。その「第五章 『脳死』の神話学」で筆者の美馬氏は、
まず「神話」として退けなくてはならないのは、「脳死」問題を論じるには医学的知識が必要だなどというばかげた主張である。これまでに繰り返された無数の「脳死論議に抗して、本章が対置するのは、脳死の定義や診断基準や脳死・臓器移植の「本当の話」などの医学的言説への徹底的な意図された無知である。また、「脳死」問題を、日本的死生観などという言葉で安易に特殊化し、文化の多様性一般の問題へとすり替えることは、「日本文化の神話」なのであり、これも到底容認することはできない。
と、厳しく批判しています。「医学的言説への徹底的な意図された無知」というのは、要するに「はぁ? 医学ぅ? それがどないかしたんか?」という態度でしょう(ちなみに筆者の美馬氏は、京大大学院医学研究科で博士をとっているそうですので、美馬氏は、「医学」に関する知識を持たないという意味での「無知」ではないと言えます。私はそもそもその意味で「無知」ですが^^;)。この「『脳死』の神話学」のスタンスは、私がこの記事で語ろうと思ったことに通じるものがありますので、興味をお持ちの方は、こちらもお読みいただくことをおすすめします。あと、社会学者の立岩真也氏の書評もよいです。

ちなみにこの本は、「新型インフル」なるものに大騒ぎしている現状とも関連して、得るところの多い本であると思いますよ。