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延吉留学日記・第二週(2)

20100801 日曜日 晴れ

昨夜は9時半頃に一寝入りするだけのつもりが、目が覚めたら夜中の1時過ぎだった。やはり疲れていたのだろうか。そこからもう一度寝直し、8時前に起床。まずは洗濯に行き、洗濯機を回している間に食堂で食事。おばちゃんから、いつまでこちらにいるのかと尋ねられる。8月22日まで、1ヶ月間いるのだと答える。昨日は防川に行ったが、天気が悪くて時間がかかったし、海も見えなくて残念だった、今日だったらよかったのに、などと軽く会話。
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朝食後、洗濯物を干して、郵便局へ。羅京ホテルの前の大きな郵便局に行った。行ってみると、大きな方の建物は改装中で閉館しており、隣の低い建物で営業していた。中に入り、服務員に尋ねながら、国際郵便用の封筒を購入。5元5角であった。売ってくれた服務員が封筒を四つ折りにし始めたので、何をするのかと思ったら、表面を四分割した左上に中国の住所、右下に日本の住所を書くのだ、と教えてくれた。笑顔はまるでないが親切だ。

どこかで机を借りて宛名を書き、さっそく発送しようと思ったところで、中に入れる便せんや封をするのりがないことを思い出した。そこで再び延大まで引き返し、正門前のスーパーでそれらを購入、改めて自室で手紙を書き上げた。手紙は、もうすぐ誕生日を迎える会社の後輩宛のもの。このあいだ私の誕生日を忘れずに祝ってくれたので、そのお礼というわけだ。しかし、誕生日おめでとうだけでは当然終わらず、こちらの近況などを書いているうちに長くなってしまった。自室に戻って正解だったようだ。できあがった封書を持って、もう一度外に出て、先ほどの郵便局前のポストに投函した。
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歩いて昼飯を考える。しかし、いまひとつ決めかねているうちにどんどんと遠くまで行き、梨花路を通って迎賓橋、世紀ホテル前を通り、解放路をずーっと東に進んで、延辺百貨大楼まで来た。ここの地下でコーヒー豆やフィルターを探してみるが、見あたらない。トイレだけ借りて店を出て、さらに解放路を東へ。雑貨品の露店が並ぶ通りを進んで、新羅ホテルの前まで来てしまった。これで延吉の中心街を西から東に横切った形だ。時間も1時半になってしまったので、その近くで適当な店に入り、葱花炒飯5元を食う。本当に葱しか入っていないが、醤油の焦げた香ばしい香りがして、なかなかうまい。
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飯を食ったら、もう後は引き返すまでだ。少し北に進んで人民路(公園路)まで出て、まっすぐ西に歩いていく。途中、国貿というデパートの地下のスーパーにも立ち寄ってみたが、やはりコーヒー豆やフィルターはない。人民公園の前の橋を渡るとき、川の様子を見てみたが、河岸の遊歩道がレンガ舗装されているはずなのに、一面に泥で埋まっていた。そういえばこの間本屋に行った日、大雨でものすごく水量が増していて、遊歩道も全部水面の下になっていたのだった、と思い出した。付いている足跡から察するに、泥はかなり深そうだが、これはどうやって復旧させるのだろうか。

橋を渡って人民公園まで来たところで、木陰で一休み。歩いていると汗ばむのだが、こうして陰で休んでいると、すっと汗が引く。やはり日本に比べてずっと湿度が低いからだろう。非常に心地よい。人民公園の入り口の石碑に「延吉公園は1907年に設立された」と書いてあるのを見つけた。前にも書いたが、この公園の正面にある石段は、話によると日本が作った延吉神社の遺構であるらしい。先週の日曜日に歩いてみたところ、石段の石はすべて新しいものに置き換わっているようであったが、今日こうして公園の入り口から石段を見上げてみると、なるほど神社の石段のような雰囲気が感じられた。
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(↑石碑の真後ろに、奥に向かって緩やかな石段が伸びている。登り切ったところには朝鮮の民族服を身につけて踊る男女の石像があるのだが、どうやらそのあたりに神社の本殿があったらしい)

公園からのんびり歩いて、寄宿舎に戻る。さすがに1週間いると、ここも「自分の部屋」と感じられるようになってきて、戻ってくるとほっとする。コーヒーを入れて日記をつける。書きためた分を手直ししつつ、ブログにアップロード。食堂で夕食をとった。
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食後、ブログにアップするための写真をいじっていると、隣室のもう一人の日本人学生MTくんがやってきて、飲みに行こうという。同じく日本人のSKくんを誘い、郵便局の近くのカルグクスの店に行った。しかしカルグクスは食べず、麻辣豆腐と地三鮮という東北菜でビールを飲む。うまいが、腹がふくれた。

部屋に戻り、ブログに写真をアップロード。よい時間になってきたので、そろそろシャワーを浴びて寝るとするか。