BALLET FOR LIFE
この作品は、ともにHIVに感染して夭折したフレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドンへのオマージュとして作られたものだそうです。プログラムによれば、ベジャールはジョルジュ・ドンと相前後して亡くなったフレディ・マーキュリーが、イラン系の出自でゾロアスター教徒であったことなどに関心を持ち、このバレエを作ったようです。ベジャールさん、「アジア的なモノ」がほんと好きですねぇ。
で、私はこの作品をビデオかDVDかで見たことがある、ような気がしていたんですが、それは全くの気のせいで、じつは初めてでした。1時間50分ノンストップで休憩なしの公演だったんですが、まったく時間を感じさせない内容でした。
作品中、音楽はほとんどがQUEENの曲ですが、ところどころにモーツァルトの曲がはさまれています。言うまでもなく、モーツァルトもまた“夭折の天才”です。「アマデウス」なんかで描かれているような(って、こーゆー作品を引き合いに出していいものやらどうやら……)、モーツァルトの「『狂気』と背中合わせの『天才(or才能)』」といったイメージを補助線としつつ、フレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドン(の人生)を読み解いた作品だ、と見ることができるでしょう。
同じくプログラムの中で、ベジャールは「もしも私が、これは死についての作品だといわなければ、観客たちはそのことに気づかないのではないだろうか」と述べています。「死についての作品」なのに「フォー・ライフ」という題名が付いているのは矛盾しているようにも思えますが、よくよく考えてみれば「生」と「死」はコインの表裏の関係にあるわけですから、「生」を描くことは同時に「死」を描くことでもある、と言えるでしょう。まぁ、あらかじめプログラムを見てカンニングしていたためでもあるんですが、「生」を描いたこの作品が「死について」のものだ、というのはうなずけるな、と思いながら見ていました。
そんなわけで、作中では「生きることの喜び」をモチーフとしたダンスが目に付きます。そのうち多くの場面で、そのダンスの輪の外(しばしば舞台の袖)に、フレディorドンになぞらえられたダンサーが配されています。つまり、フレディorドンの吹き出しの中のことが演じられている、わけです。舞台中央で踊り、遊び、歌い、愛し合う若者たちと対照的に、うつろな表情で座るフレディ、ドン。若者たちのダンスが明るく喜びに満ちたものであるほど、それが吹き出しの中に入れられているということの重みが伝わってくるようにも感じられます。(ステージの上に二つ以上の「流れ」を載せて、それらの「流れ」同士の重層性を見せるような演出…「劇中劇」または「枠物語」のような手法…が、この作品には随所に見られました)