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山梨旅行記(3)・極寒の最高地点へ

韮崎の宿(こちら)は、創業140年以上という古い旅館でしたが、アットホームな懐かしい雰囲気で、くつろげました。おかみさんも気さくな方でした。

宿を発ったのは朝8時過ぎ。韮崎は甲州街道の宿場町だったということで、その宿場跡(といっても建物などはほとんど残っていませんが)を見て歩くことにしました。途中、市内各地の消防団が集まって、数十台の消防車が列をなしてパレードをしているのに出くわしたんですが、そのときに地元で火事が起こったらどうするんでしょうね?
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(↑韮崎宿本陣跡の石碑。泊まった宿の真向かいでした。石碑の説明によれば、韮崎は甲府のすぐ近くだったため、実際には大名の宿泊は少なく、本陣は問屋が兼務していたのだそうです)

韮崎駅に着いてホームに上がってみると、きれいに富士山が見えました。韮崎は「七里岩」と呼ばれる台地の最周縁部に位置するため、土地が全体として北西(高)→南東(低)という方向に傾斜しています。中央本線もその方向に走っているので、韮崎駅のホームもその方向になだらかに傾斜しており、そして線路の延長上に富士山が見える、というわけです。私がホームの階段を上り終わる直前に新宿行きの「スーパーあずさ」が発車していたので、もうちょっと早く着いていれば、その列車と富士山の写真を撮ることができていたはずです。惜しい。
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電車に乗って、再び小淵沢へ。今度は小海線に乗り換えて、野辺山に向かいます(「野辺山は山梨じゃないぜ!」というツッコミは我慢してください)。ここまでは当初の予定通りのプランです。小淵沢までの間、電車はずっと上り勾配を進んでいきます。小淵沢に着いてみると、韮崎よりも寒さがいちだんと厳しく感じられました。

2両編成のディーゼル・カーに乗り込んで、7分ほどの待ち合わせで小淵沢駅を出発。乗客はほとんどゼロかな、と思っていたら意外に多く、ボックス席にそれぞれ1~2人ずつ程度は乗っていました。列車は有名な右カーブを通過しながら、ぐんぐんと上っていきます。右に見えていた八ヶ岳が左側に回ると、今度は右側に富士山が見えて来るという贅沢な車窓。右後方には甲斐駒ヶ岳も見えます。窓の外を見ながらひとり「ほー」とか「へー」とか言ってたら、写真を撮る間もなく野辺山駅に着きました。
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野辺山駅に着いたら、行くところはもちろん「鉄道最高地点」。下の地図の場所です。

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駅から2キロちょっとという距離なので、自転車でも借りていこうかな、と思っていたのですが、ちょっと甘すぎました。道は全然除雪されておらず、雪がガチガチに踏み固められた上に再度凍結して固まっています。少し遠回りのルートに当たる国道はさすがに除雪されていましたが、それも車道だけのことで、歩道は20センチくらいの雪、そして車通りが頻繁なので車道を歩くこともできません。もちろん、そんな状況でレンタサイクル屋が開いているはずもなく、仮に開いていたとしても、自転車では駅広場から出ることすら難しかったでしょう。しかし、次の列車までの時間は限られています。そこでしかたなく、タクシーで行って歩いて戻る、ということにしました。途中、やや大きな踏切のところでは道がテカテカに凍っており、追突事故を起こして止まっている車もありました。おそろしや……

そんなこんなで到着した、JR鉄道最高地点。そこらじゅう至るところに「最高地点」の石碑だの標柱だのが立っています。
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(↑「最高地点」の踏切の横にはレストランがあり、その名も「最高地点」。メニューの表紙はこんなのです。マスターの実家のリンゴを使っているというムースを食べましたが、ウマかったです)

行ったからには、戻らにゃならぬ。つむじ風も舞う雪道を、滑らないように行進のように足を上げながら(垂直に足を下ろすように心がけて)、2キロ歩きました。もう、疲れましたね。生まれも育ちも、いま住んでるところも温暖な土地ですので、慣れてなくて大変なんです。地元の人はどうなんでしょうね。
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野辺山からは、佐久・小諸方面に向かうという当初の予定から変更して、小淵沢に戻って甲府から身延線を通り帰宅する、ということにしました。長野新幹線への初乗車は、またの機会にすることにして、あきらめました。野辺山駅小淵沢行きの列車を待っていたところ、ちょうどやって来たのは「ハイブリッド車両・こうみ」でした。ハイブリッドと言うだけあって、ディーゼル・カーに比べて格段に静かでしたよ。
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